航空会社招致と路線申請の難航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:32 UTC 版)
「紋別空港」の記事における「航空会社招致と路線申請の難航」の解説
空港は予定通りに完成したものの航空会社の招致は難航した。当初は北日本航空に乗り入れを要請したが、当時航空業界は再編の途にあり、北日本航空は他2社と統合し日本国内航空となった。その日本国内航空からは累積赤字の増大を理由に就航できないとの回答であった。次に稚内 - 利尻の不定期路線や弟子屈を基地とした遊覧飛行の運航を行っていた横浜訓盲学院に打診したところ、北海道での航空事業拡大を計画していたところであったことから要請を快諾した。1966年(昭和41年)5月に丘珠とを70分で結ぶ不定期路線および、紋別を基地とした遊覧飛行の認可を申請した。 空港施設はすでに完成していることから早期認可を要請したが、航空局は当時60分を超える路線に小型機の就航を認可した例はないことと、旭川以西が日本国内航空が運航する旭川 - 丘珠と競合するとの見解から、紋別 - 旭川の路線として申請するよう指導があった。しかし紋別市など関係市町村の札幌直通に対する要望は強く、所要時間が60分を超えても機体性能上問題はないことから地元の意向を反映することとし、路線開設審査を経て7月22日に紋別 - 丘珠線(日本国内航空との共同運航)と旭川線、遊覧飛行の就航を認可した。8月10日に開港式を挙行。運輸省航空局のYS-11、北海道航空協会のターボフロップ機、横浜訓盲学院の道内常駐セスナ機4機の計6機が飛来し、セスナ機の編隊飛行で開港を祝った。供用開始から遅れること3週間の8月11日、旅客定員5名のセスナ206Aで運航を開始した。
※この「航空会社招致と路線申請の難航」の解説は、「紋別空港」の解説の一部です。
「航空会社招致と路線申請の難航」を含む「紋別空港」の記事については、「紋別空港」の概要を参照ください。
- 航空会社招致と路線申請の難航のページへのリンク