興国期におきた出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:47 UTC 版)
「興国四年の戦い」(「尾野尻の戦い」) 興国四年、豊後の大友氏が、阿蘇氏の本拠であった、隣国肥後の矢部郷に攻め入った。「興国四年の戦い」または「尾野尻の戦い」とも呼ばれている。阿蘇氏の家臣は、御岳にある眺めの良い小高い丘(地元の伝承では山城があった場所と言われており、空濠がある。 『熊本の中世城址』には載っていない)に大友軍を誘導。あらかじめ埋めておいた爆薬に火をつけ、千人余里の兵を蹴散らしたという。火薬が爆発した響きは、ものすごい音であったという。爆薬のしかけは、土呂久鉱山の労働者(現、宮崎・高千穂町)を使った。 戦いより二百年余りたち、地元の男成・田所の人々が供養のために、板碑を建てて弔った。これを「千人灰塔」と呼び、山林に二基建っている。うち1基は、かなり大きいサイズである。 平成13年、地元で郷土史を学んでいる「いきいき大学」と「婦人学級」の生徒が、説明のために二本の標柱を建てた。 近くにある接続道が改良されたが、その場所に看板が無く、地元でも存在はほとんど知られていない。
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