自給自足とフィリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 16:50 UTC 版)
自給自足は、論理上フィリアと衝突する概念である。アリストテレスは自身の語るフィリアと自給自足の明らかな衝突を意識していた。フィリアを語る一方で、他の場所では自然の自給自足で満たされた人生について語っていたことは当時広く知られていた: 「幸いにして全く幸福な自給自足の人々は、友人たちを必要としない。というのも、彼らは既に [全ての] 物を所有し、それゆえ自給自足であり、何も加える必要がないのだ。」 (1169b4–6) 彼はいくつかの解答を提示している。 第一の解答は、他者への生来的な善による行為と思いやりを基本とする: 「素晴らしい人間は、友人たちのために働き、国家のために働く。そして必要とあらばそれらのために死を辞さない。」 (1169a19–20) こうして、全く高徳を持ち満ち足りた人間であることは必然的に、思いやってくれる他者を持つということである。もしそれらがなければ、一人の人間の人生は不完全である: 「一人ぼっちの人間の人生はつらい。彼が彼自身でいつも全部行うのは簡単ではないのであるから。しかし他者との関係性の中と、その仲間の中では、それはもっと簡単である。」 (1170a6–8) 第二の解答は: 「良い人々の人生は徳の涵養とともにある。」 (1170a12) 最後に彼は、友人とは「もう一人の自分」であると論じる。そして人生の中で高徳を持つ人間を得るその喜びはまた、もう一人の高徳を持つ人間の人生の中にも発見される: 「幸福になろうとする人は、それから、素晴らしい友人をきっと持つに違いない。」 (1170b19)
※この「自給自足とフィリア」の解説は、「フィリア」の解説の一部です。
「自給自足とフィリア」を含む「フィリア」の記事については、「フィリア」の概要を参照ください。
- 自給自足とフィリアのページへのリンク