自性院 (横浜市港南区)
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自性院 | |
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本堂と勘九郎地蔵尊(左)。
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所在地 | 神奈川県横浜市港南区大久保2-34-15 |
位置 | 北緯35度24分34.9秒 東経139度35分22.8秒 / 北緯35.409694度 東経139.589667度座標: 北緯35度24分34.9秒 東経139度35分22.8秒 / 北緯35.409694度 東経139.589667度 |
山号 | 大久保山 |
院号 | 自性院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 伝平安時代 |
開山 | 善住上人 |
中興年 | 17世紀 |
中興 | 長信法印 |
正式名 | 大久保山 自性院 地蔵寺 |
札所等 | 新四国東国八十八箇所霊場第六十六番札所 |
公式サイト | 自性院 |
自性院(じしょういん)は神奈川県横浜市港南区にある高野山真言宗の仏教寺院である。大久保山自性院地蔵寺と号する。新四国東国八十八箇所霊場第六十六番札所であり、勘九郎地蔵尊を安置する。
本尊
木造地蔵菩薩立像(江戸時代)
- 新四国東国八十八箇所霊場本尊:木造千手観音菩薩立像
歴史
平安時代、善住上人が当地で地蔵菩薩像を刻み安置したのが開山と伝わる。当初は善住山地蔵堂と称したが、平安末期に仁和寺から院号を賜り、久保山自性院地蔵寺と称するようになった。
1342年(興国2年)に兵火で全焼したが、善怡法印により中興され、その後も幾度となく全焼と中興を繰り返し、1813年(文化9年)全焼後は荒廃、1855年(安政2年)に霊明法印が再建した。
長く宝生寺末寺だったが、1874年(明治7年)には増徳院の末寺となり、1926年(大正15年)に高野山真言宗総本山金剛峯寺の直末となった。
本堂・境内
- 本堂:1961年(昭和36年)再建。
- 権現堂(不動堂):1984年(昭和59年)再建。本尊は同年造像の木造不動明王立像。
- 客殿・庫裡:1991年(平成3年)新規造営。
- 半鐘:正徳元年(1711年)銘。1870年(明治3年)廃仏毀釈で廃寺となった鎌倉・松源寺から譲受。
勘九郎地蔵尊
盗賊に襲われて落命した旅人・勘九郎の供養に村人が建立したと伝わる地蔵尊。万治3年(1660年)の刻印がある。疫病が鎮まったことから、病気平癒・商売繁盛等に御利益があるとされる。1804年(享和4年)に寺領だった六ッ川から境内へ移され、1935年(昭和10年)には地蔵堂が建立された。両脇には六地蔵尊が安置されている。
祭事・年中行事
- 正月修正会
- 春秋彼岸会
- 盂蘭盆施餓鬼法会
- 大晦日法要
所在地・交通
神奈川県横浜市港南区大久保2-34-15
- 京急本線・横浜市営地下鉄ブルーライン 上大岡駅から徒歩15分。
脚注・参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』巻ノ77久良岐郡ノ5(1884年内務省地理局編)
- 『横浜市史稿 仏寺編』(1986年、横浜市編)
- 『港南の歴史』(1979年、横浜市編)
外部リンク
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