自性分別、計度分別、随念分別とは? わかりやすく解説

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自性分別、計度分別、随念分別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 08:42 UTC 版)

分別 (仏教)」の記事における「自性分別、計度分別、随念分別」の解説

分別には、 自性分別じしょうふんべつ知覚作用相当する自性とは物それ自体の独自の本性のこと) 計度分別(けたくふんべつ対象について分別をもって区別をたて推量する心のはたらき。計度とは推理忖度する心のはたらきのこと。なお、説一切有部の『阿毘達磨大毘婆沙論においては、計度分別禅定入っていない意識相応する有分別なものであるため、無分別である五識の後に生起する説かれている) 随念分別(ずいねんふんべつ過去のことを心に明記する記憶作用があり、随念とは過去追想思い出す心のはたらきのこと。なお、『阿毘達磨大毘婆沙論においては推度分別) があり、分別の支分とされる説一切有部の『阿毘達磨倶舎論によれば自性分別五位七十五法のうち心所法不定法のひとつである尋(じん)、および伺(し)であると定義されている。三科十八界のうちの五識眼識耳識鼻識舌識身識5つ)には自性分別、即ち尋、伺はあるが、計度分別および随念分別はないため、五識無分別むふんべつ)と呼ぶ(なお、説一切有部五識無分別であるとの記述があるのは、『阿毘達磨大毘婆沙論』が最初である。また、南伝上座部では、五識は尋、伺を持たない説いている))。 つまり、五識による認識は、自性分別という極めて微弱な分別働き有しそれゆえに「分別がない」と理解されている。このような阿毘達磨倶舎論自性分別は、陳那(ディグナーガ)、清弁(バーヴィヴェーカ)によって、直接知覚(五識)による分別として理解された。なお、意識上述五識意識加えて六識という。)は、自性分別、計度分別、随念分別の3分別すべてを有しているので有分別(うふんべつ)という(なお、『阿毘達磨大毘婆沙論においては禅定入っていない意識無分別であり、入っているものは有分別としている)。

※この「自性分別、計度分別、随念分別」の解説は、「分別 (仏教)」の解説の一部です。
「自性分別、計度分別、随念分別」を含む「分別 (仏教)」の記事については、「分別 (仏教)」の概要を参照ください。

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