自性清浄心に基づく禅観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:17 UTC 版)
衆生但以亂心惑障。六情暗濁法身不現。如鏡塵垢面像不現。是故行人勤修禪定。淨惑障垢法身顯現。 と述べて、自性清浄心があるにもかかわらず、衆生は心が乱れて惑いの障碍によって法身が現れておらず、まるで鏡の表面に塵垢が積もって像が現れてこないようなものだと喩えて、禅定を勤め修めて惑いの障碍という垢を浄めれば、法身が顕現すると説いた。なお、この比喩は後に六祖壇経において、北方禅の漸修的立場を表すのに転用された。
※この「自性清浄心に基づく禅観」の解説は、「慧思」の解説の一部です。
「自性清浄心に基づく禅観」を含む「慧思」の記事については、「慧思」の概要を参照ください。
- 自性清浄心に基づく禅観のページへのリンク