自動車専用道路の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
その後、駿豆鉄道では自社の路線バスの運行を目的として、1925年に熱海峠と箱根峠を結ぶ、延長9.9kmの自動車専用道路(十国線)の建設を内務省に出願した。この道路は1930年7月に建設が許可され、1930年11月には着工となった が、これと並行して、箱根遊船によって小涌谷から早雲山と大涌谷を経て湖尻に至る自動車専用道路(早雲山線)と、湖尻から元箱根に至る自動車専用道路(湖畔線)の建設を進めることとした。この早雲山線の建設においては、一部の土地が箱根登山鉄道の所有地であったため、1931年11月30日、箱根遊船と箱根登山鉄道の間で土地の貸借契約が結ばれた。箱根登山鉄道ではこの契約において、小涌谷から早雲山までの間の土地に関しては有償で貸与しているが、早雲山から湖尻までの間にある土地は無償貸与とした。これは、ケーブルカーの早雲山駅から芦ノ湖までの間はそれまで徒歩による手段しかなかった ため、この間にバスが運行されることは箱根登山鉄道側にとってもメリットがあったためである。また、箱根登山鉄道と箱根遊船のどちらにとっても、富士屋自働車は商売敵であった。 自動車専用道路十国線は1932年8月に開通、さらに1936年1月には早雲山線が、1937年10月には湖畔線が開通した。
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