習熟度による差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:58 UTC 版)
同じ音を聞いているにもかかわらず、何故フランス語母語話者や大多数の日本人フランス語教師に「舌打ち」が「聞こえていない」のかという理由は、次のように考えられる。彼らの場合、相手が話す内容を理解することに注意が向けられ、さらにコンテクスト(文脈)も理解できるため、「舌打ち」はフィラーのように聞き流される。すなわち、実際その音は耳に入ってはいるものの、「感情表現ではない」と理解できているため、「舌打ち」は解釈すべき対象として意識されない。 一方「聞こえる」人は、フランス語の内容を理解するための基礎が十分でないため、何かを言われても、それは単なる音の集合体としか認識できない。しかしどうにかして理解しようと試みれば、日本語(あるいは既習外国語)の中に、言われた音と似たものがないか考える。そのような中で歯茎吸着音が現れると、それは日本語の舌打ちとして解釈の対象となる。そして瞬時に「相手が苛立っている」と解釈するため、学習者Dのように「自分が何か悪いことをしたのではないか」、「この人は性格に問題がある」、といったことを感じるようになる。 ただし、学習期間・動機づけ・フランス語レベルは時が経つにつれ変化していくため、ある時期に「舌打ち」が聞こえていても、その後聞こえなくなった日本人フランス語教師も居る。特に、フランス語の基礎が十分身についていない、なおかつ外発的に動機づけられた日本人学習者を教育する場合、「舌打ち」(歯茎吸着音)について指摘することは非常に有用と考えられる。
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