義和団・清朝軍の軍事能力についてとは? わかりやすく解説

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義和団・清朝軍の軍事能力について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:48 UTC 版)

義和団の乱」の記事における「義和団・清朝軍の軍事能力について」の解説

激戦はいくつかあったが、連合軍全体的にみて苦戦したというわけではなかった。清朝軍と義和団は、連合軍比べ圧倒的な兵数有していたものの、装備という点で全く劣っていたためである。例外大沽砲台聶士成武衛前軍、馬玉崑率い武衛左軍といった近代化部隊であったが、これらすら兵器扱い不慣れな兵士多かったために、効果的な運用ができなかったという。中には所々ニ於ケル自己弾薬破裂ハ、遂ニ抵抗シ得サルニ至ラシメタリ。敵(清朝兵:加筆者)ノ死屍七八百ハ砲台内ニ横タワレリト云フ」(大沽砲台攻防についての日本軍批評)とあるように、訓練不足のため近代兵器活用できず、暴発などで自滅した例も有った義和団至ってはその装備していた武器剣槍がほとんどで、銃器持った者など僅かしかいなかった。 また軍隊組織としてみた場合義和団言うに及ばず清朝軍すら全体統括指揮する能力欠けており、その点も前近代的であると日本軍からは評されている。しかし日本軍も彼らを決し侮っていたわけではなく、「彼等携帯兵器クハ清国在来刀・槍・剣、若クハ前装銃ニシテ、皆取ルニ足ラサルモノナリシモ、能ク頑強抵抗ヲ為シ、我兵ヲ苦メタル勇気ハ称スルニ余リ有リ」という声もあるように、士気すこぶる高かったようである。ただ作戦装備が劣る点を士気によって補おうとする姿勢は、多く犠牲生むことになり、この戦乱死傷者多く義和団あるいは清朝軍の兵士占められた。

※この「義和団・清朝軍の軍事能力について」の解説は、「義和団の乱」の解説の一部です。
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