美濃ミッション教会の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:03 UTC 版)
「神社非宗教論」の記事における「美濃ミッション教会の例」の解説
プロテスタントにおける神社非宗教論との衝突は、1929年9月24日に生じた、美濃ミッション事件である。1933年には、岐阜県大垣市のクリスチャンの小学生が信仰上の理由で伊勢神宮参拝を拒否したことを地域社会が問題視し、この小学生が所属していた美濃ミッションというキリスト教団体のメンバーが地域社会の様々な人々によって排撃運動を受けた、という事件である。そして、その排撃を行ったのは、現在のPTAや学校教員、在郷軍人会、政治家などが排撃にかかわったが、この中には大垣市内の別のプロテスタントの教会関係者も含まれていた。 この件について、立命館大学の麻生将は 特に満州事変を契機とする十五年戦争期に思想統制が強化される中で、キリスト教関係者が方便として神社非宗教論を運用しながら教会を守ってきた、と考えられがちであるが、実際はナショナリスティックな日本のキリスト教界の性格がむしろ神社非宗教論の運用による国家神道体制下の神社参拝を推進し、後の日本基督教団の結成を促していったことも同時に指摘できよう。 と指摘している。 美濃ミッションは解散を命じられたが、戦時中も信仰を守り、妥協せず、日本基督教団に加わることがなかった。1942年3月26日、美濃ミッションの牧師たちは治安維持法違反で投獄された。
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