美和神社 (瀬戸内市長船町福里)とは? わかりやすく解説

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美和神社 (瀬戸内市長船町福里)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 17:23 UTC 版)

美和神社
所在地 岡山県瀬戸内市長船町福里341
位置 北緯34度42分1.07秒 東経134度7分7.48秒 / 北緯34.7002972度 東経134.1187444度 / 34.7002972; 134.1187444座標: 北緯34度42分1.07秒 東経134度7分7.48秒 / 北緯34.7002972度 東経134.1187444度 / 34.7002972; 134.1187444
主祭神 大物主命
社格 式内社、村社
創建 不明
本殿の様式 一間社流造
別名 美和大明神
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美和神社(みわじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市長船町福里にある神社。祭神は大物主命式内小社の論社で、長船町内にはもう一社同名の美和神社がある。社格は村社。美和大明神とも呼ばれる。

概要

社伝によれば、奈良県桜井市大神神社から勧請されたと伝えられている。勧請年代は不明である。また、長船町東須恵の美和神社から分祀したとの言い伝えもある。

延喜式神名帳』、『備前國式社考』によれば神階は従三位、応永1394年 - 1427年)・明応1492年 - 1501年)の神階記によれば正三位となっている。

口伝によれば、神社は一時期廃絶していたが江戸時代延享3年(1746年)に岡山藩に対し再興を願い出た。翌、延享4年(1747年)延喜式神名帳に名を連ねる古社であるとの理由から、藩主・池田継政より江戸幕府に再興伺いを提出した。これにより寛延2年(1749年)神社の再興が成ったとされる。

明治時代になり神社明細帳編成の際に式外社と改められた。明治政府は長船町東須恵の美和神社を式内社であるとした。

参考文献

  • 邑久郡教育会/刊 『邑久郡誌 第二編』 小林久磨雄/編 1915年

脚注

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