美和神社 (桐生市)とは? わかりやすく解説

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美和神社 (桐生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 03:46 UTC 版)

美和神社

拝殿
所在地 群馬県桐生市宮本町2丁目1番1号
位置 北緯36度25分4.2秒 東経139度20分23.1秒 / 北緯36.417833度 東経139.339750度 / 36.417833; 139.339750
主祭神 大物主櫛甕玉命
武速須佐之男命
社格 式内社(小)
郷社
創建 第10代崇神天皇年間
地図
美和神社
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鳥居

美和神社(みわじんじゃ)は、群馬県桐生市宮本町にある神社式内社で、旧社格郷社

概要

大物主櫛甕玉命武速須佐之男命を祀る[1]吾妻山の東南麓にあり、山手通りに面している。毎年11月19日から20日にかけて行われる桐生ゑびす講では、神楽殿にて神楽太鼓が奉納される。拝殿の西隣には桐生八木節まつり(桐生祇園祭)の神輿蔵がある。

歴史

崇神天皇の代に大和国三輪山から勧請したと伝わる[2]

延暦15年(796年)に賀茂神社とともに官社に列した(『日本後紀』)[3]

元慶4年(880年)賀茂神社、甲波宿禰社小祝社とともに正五位下勲十二等(『三代実録』)[3]

上野国神名帳』では「従一位美和大明神」として見える[2]

天正年間に火災で旧記社宝を悉く焼失したという[2]

もとは円満寺別当寺であったとされ、江戸時代には小島一族が両者を管轄した[4]

明治5年(1872年)11月、郷社に列せられる[2]

明治41年(1908年)に本町三丁目の八坂神社(もとは牛頭天王を祀る衆生院)を合祀した[5][6]

境内社

左端に美和神社拝殿、右奥に桐生西宮神社
  • 八坂神社 - 旧村社、明治41年合祀
  • 八意思兼神社 - 旧八坂神社境内社
  • 機神社 - 旧八坂神社境内社
  • 市神社(母衣輪権現) - 旧八坂神社境内社
  • 松尾神社
  • 琴平神社
  • 西宮神社

[6]

周辺

脚注

参考文献

  • 桐生市史編纂委員会『桐生市史』 上巻、桐生市史刊行委員会、1958年8月15日。doi:10.11501/3024325 (要登録)
  • 桐生市史別巻編集委員会 編『桐生市史』 別巻、桐生市役所、1971年3月1日。doi:10.11501/3021305 (要登録)

関連項目




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