総合格闘技転向・修斗
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オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。姉から総合格闘技のビデオを見せられたのがきっかけになったという。2000年7月、愛知で行われたアマ修斗ワンマッチにて2RKO勝ちでアマデビュー。同年9月第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(-63 kg)で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位まで登り詰めた。 2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦で勝田哲夫と対戦。試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた。 2003年12月14日、修斗世界ライト級(-65 kg)チャンピオンシップで王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに挑戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。
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