総合技術コンツェルン構想の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:39 UTC 版)
「エツァルト・ロイター」の記事における「総合技術コンツェルン構想の崩壊」の解説
すでに冷戦の雪解けがあった時期にも関わらず、ロイターは兵器産業に大きな投資をしたことになり、1991年のワルシャワ条約機構の解体とソビエト連邦の崩壊により、この投資は大きな失敗に終わることが確実となり、DASAの分だけでも「10億ドルの墓」となった。1985年のAEGの買収には16億ドイツマルクが費やされ「ドイツの経済史上最大の企業買収」と呼ばれたが、この買収もまた大きな失敗に終わった。 当時の会長でロイターと対立していたブライトシュベルトは後年のインタビューで、1985年当時、自動車製造部門は余剰生産能力を抱えていたため、ロイターが掲げた「総合技術コンツェルン」というコンセプト自体はその時点では悪くない考えだったと述べている。その上で、この構想を実現するには、自動車メーカーであるダイムラー・ベンツがAEGの電気製品のような他業種の製品を製造するという根本的な困難があり、それを解決する手腕をロイターは持っていなかったと評している。 結果として、ロイターが進めたこの多角化により、ドイツの由緒ある電機メーカーであるAEGやオランダの航空機メーカーであるフォッカーは解体されて消滅の憂き目にあった。
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