綾取の橋が崩れる雪催
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冬 |
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前 書 |
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評 言 |
『何處へ』(1984年)所収。鬼房64歳の作。 佐藤鬼房は1919年に岩手県釜石に生まれたが、鉱山ストライキのあおりで一家は二年後に宮城県塩竈に移住し、それ以後鬼房は仙台を拠点として活動した。みちのくをテーマとした句を多くのこしているが、なかでよくしられたものに、「みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く」(1992年刊『瀬頭』所収)等がある。「底知れぬ国」と「大熊」との対比が効いていて、山ぶかい東北の冬に棲息している動物の不思議な力強さを表現している。大熊と書いて「おやぢ」と読ませたことで、古い東北の家の家長の暗喩としても読めるところにも妙がある。鬼房の俳句は、この句のように、一見取りつきにくいが、読みこむうちに理解がふかまってくるものがおおい。無骨な俳人であったといえる。 掲出句は、同じく鬼房晩年の作である。綾取に興じていた子供らが、雪催の空に気をとられてかけだしたのであろうか。句のひとつのポイントは、「崩れる」。綾取の橋を本物の橋であるかのように「崩れる」といいとめたところが、この句のユニークな点である。あるいは、綾取が崩れていく手近な情景のなかに、雪景色が季節とともに融けて崩れていく情景を暗喩としてしのばせているととってもいいであろう。あえて切れをいれず、連体形で下五につなげたところにも特色がある。「橋が崩れる」という語感と「雪催」の不安定な雰囲気が絶妙なとりあわせとなっている。この句の魅力は、そうした漠然とした不安感あるいは虚無感にある。冬の室内からその背景へという視点の転換もうつくしい。 |
評 者 |
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備 考 |
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