維持同盟から財団法人へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 02:05 UTC 版)
「学校法人東京理科大学」の記事における「維持同盟から財団法人へ」の解説
しかし経営母体たる維持同盟が単なる有志団体で法人でなかったことはその後の物理学校の発展にさまざまな影を落とし、同盟による学校経営の限界が次第に露わになっていく。1903年、専門学校令が発布され、多くの私立学校が同令に準拠する旧制専門学校に昇格したが、この際、物理学校は経営母体の問題から、専門学校昇格の要件を満たすことができず、単なる「各種学校」の地位に甘んじることとなった。1914年(大正3年)には寺尾寿ら一部の設立者や学校幹部の間で早稲田大学への身売り(経営譲渡)が検討され、当時の高田早苗早大総長に打診がなされるまでに至ったが、結局他の設立者や同窓会より反対論が起こり身売り構想は白紙となった。 この紛争は、維持同盟に代わる財団法人設立への動きを加速させることになった。1915年5月26日、「財団法人東京物理学校」が発足し維持同盟から経営権を譲渡された。この結果、物理学校は1917年3月27日、長年の念願であった専門学校への昇格を果たすことができた。
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