紫外線浄化法の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:09 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月15日、日本は敗戦し、GHQの施政下に置かれる。これまで優遇されてきた牡蠣養殖は、真珠養殖の奨励に転換されたため厳しい立場になった。更にアメリカ軍は「日本の牡蠣は不衛生だから食べないように」と通知したとされる。 これを知った佐藤は生でも安心して食べられる「無菌かき」を作ることを決意し、自身の研究所で日夜研究に励む。同年、紫外線で殺菌した海水を利用した牡蠣の浄化法「紫外線滅菌浄化法」を考案、1955年(昭和30年)に「オゾン・紫外線併用殺菌海水装置」の特許を取得した。この技術は的矢かきのブランド力を一層高め、日本を始め、世界の食通や料理人にも知られることとなった。後にこの技術は「みえのカキ安心システム」として三重県の生食用の牡蠣の出荷の際の標準となり、浦村かきの浄化にも利用されることになった。 そして1953年(昭和28年)には三重大学に招聘(しょうへい)され、養殖の講義を受け持った。
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