笹森峠道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:57 UTC 版)
笹森峠を越えた記録は、文政3年(1820年)の菅江真澄による『雪の山ごえ』がある。真澄が描いた絵図は現在の風景と一致し、中茂の絵図もある。笹森峠は現在の地形図にも記載されている道路である。自動車が通れるように補修された時は五城目の商人が米内沢まで出張して商売をする程であったが、冬には積雪によって崖崩れが多発し春には必ず補修を行わなければ通行不能な道路であった。現在も多数の崖崩れの場所があり、車両は通行不能である。 1896年(明治29年)4月、「五十目線路」として南秋田郡一日市村(現八郎潟町)から上小阿仁村を通り北秋田郡米内沢町(現北秋田市)に至る重要道路として県費支弁道に追加され、笹森峠を越す幅2間(約3.6m)の道路が整備された。この時点では馬車が通れる程度のものであったが、1953年(昭和28年)夏の大改修により自動車が通れるようになった。このとき主要地方道米内沢五城目線に指定された。
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