秋田峠
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秋田峠(あきたとうげ)は、秋田県北秋田郡上小阿仁村と南秋田郡五城目町の境にある峠である。ここでは、歴史的にこの地区を通っていた峠道についても記述する。
- ^ 「歴史の道調査報告V 五城目街道」、昭和60年、秋田県教育委員会
- ^ 岡田知愛『柞山峯之嵐』 小田瀬山の変地 秋田叢書 2巻収録、p.457
- ^ 橋本宗彦『秋田沿革史大成 下』 小田瀬山の変地、明治29年、p.249
- ^ 人見蕉雨の友人館生の親が大石田を通ったとき、森の明神の祭りに遠近から多くの参詣人がりその祭神の由来を聞いた。それは以下のようなものであった。むかし米沢からここを通る琵琶法師がいた。山中で出会ったある老人が、彼の背負った琵琶を見て1曲所望した。法師も休息したかったところなので、道脇の岩に坐って地神経を弾いて聞かせた。老人は感に堪えず、また3-4曲を弾かせた。弾き終ると老人は、あまり面白かったからお礼だといって、今宵大石田を通っても決して泊るなと教えた。法師がそのわけを尋ねると、老人は、私は向うの洞に年久しく住んでいたが、今宵この洞から出る。そのとき必ず山崩れ谷埋まって大石田の村も崩れてしまうだろう。しかし決して他言するな。もし話したらお前も安穏ではないぞと言って別れた。法師は「私はいやしい盲人の身ではあるが、この世にあっても甲斐ない。大勢の人命に関することを聞いて、救えるものならお知らせしなくては」と考え、急いで村に行ってこのことを告げた。村中はこれを聞いて肝をつぶし、洞の中の大蛇が竜になって昇天するのだろう、どうせ死ぬ我々の命なのだから、こちらから出かけて退治してやろうと、近村から多くの人を雇いその洞穴に至り、洞の口に焚草を山のように積み上げて鬨の声を合せて火をつけたところ、折しも山嵐吹きしいたので、竜は焼けてしまったらしい。さて、あの盲人は村中で救わなくてはと唐櫃に隠し、三重四重に掩って竜退治に出かけて行ったが、帰ってみると無残にもこの法師の身体は段々に裂かれて死んでいた。一郷の命の親というわけで、それから明神に祭ったという。
- ^ 人見蕉雨『黒甜瑣語. 第2編』、人見寛吉、明治29年
- ^ 人見蕉雨『黒甜瑣語. 第3編』、人見寛吉、明治29年
- ^ 上仏社の梨の木岱というところにガニ沼(北緯40度03分45.24秒 東経140度20分01.74秒 / 北緯40.0625667度 東経140.3338167度 ウィキメディアコモンズに写真あり(File:Ganimuma(Kamikoani).jpg))という沼がある。その沼には、正体不明の生き物が住んでいて御神酒を持って参拝に行き、米糠を沼にまいておくと、人が帰った後、沼の生き物が米糠を食べる(東洋大学民俗研究会『上小阿仁の民俗』、1980年、p.433)。昔、若勢と山へ行ったとき、沼から主である大きなガニが出てきて怖い目に会った。それ以来ガニ沼という。今は大きな2尺ぐらいの鯉がいる(『上小阿仁の民俗』、p.434)。
- ^ 五城目町『五城目町史』p.597
- ^ 「広報ごじょうめ」1981.12.15、第434号
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