秋田工業高等学校ラグビー部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/28 00:33 UTC 版)
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秋田工業高等学校ラグビー部(あきたこうぎょうこうこうラグビーぶ)は、秋田県立秋田工業高等学校のラグビー部である。花園の最多出場及び最多優勝記録を持っており、ラグビー日本代表を輩出するなど高校ラグビーにおいてトップクラスの実力を有している。また旧制中等工業学校であった秋田県立工業学校時代に全国大会制覇を経験している[1]。ちなみに現在のジャージーは上半身が横縞の紺白で下半身が白である。
チームの歴史
全国大会への初出場を決めたのは秋田県立工業学校時代の1930年度(第12回)でこの時は1回戦で奉天中に12対6で敗れた。初優勝を果たしたのは1934年度(第16回)でこの時は朝鮮代表の京城師範に8対5で破った。
新制高等学校の大会になってからの初優勝は1948年度(第28回)でこの時は大阪府代表の四条畷に13対3で破った。その後1987年度(第67回)で15回目の優勝を果たして以来、全国大会での優勝はない。
タイトル
- 全国高等学校ラグビーフットボール大会:優勝15回、準優勝7回(出場65回)[2]
- 1933年、1937年、1947年[3]、1948年、1949年、1951年、1952年、1955年、1956年、1958年、1960年、1964年、1968年、1984年、1987年
在籍した選手
- 伊藤護(元ラグビー日本代表)
- 太田治(元ラグビー日本代表)
- 桜庭吉彦(元ラグビー日本代表)
- 佐野正文(ラグビー選手)
- 瀬下和夫(元ラグビー日本代表)
- 土田雅人(ラグビー選手)
- 吉田義人(元ラグビー日本代表)
脚注
参考文献
- 『日本ラグビー〈2005〉平成16年〜平成17年公式戦主要記録』 ラグビーマガジン編集部、ISBN 4-583-03863-1
関連項目
外部リンク
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