第38回東京優駿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 07:29 UTC 版)
この年の東京優駿は史上5番目に多い28頭の出走馬を揃え行われた。ヒカルイマイは皐月賞馬にもかかわらず、NHK杯2着のダコタに単勝1番人気を譲り、同2番人気となる。ただし、ダコタも単勝オッズは4.7倍と絶対的な本命視をされていたわけではなく、混戦模様を呈していた。鞍上の田島はこれがダービー初騎乗であった。 当時、一般の競走よりもはるかに多い頭数で行われていたダービーは、後方からレースを進めると先行馬群を捌くだけでも大きな不利となるため、「第1コーナーを10番手以内で回らなければ勝てない」という格言があり、これが「ダービーポジション」と呼ばれていた。しかしヒカルイマイはスタートで立ち後れ、第1コーナー通過時点で23 - 24番手という後方からのレースとなった。 道中は比較的スローペースで流れて向正面まで進み、ヒカルイマイは第3コーナーでさらに遅れて後方27番手まで位置を下げた。そして第4コーナーを回る際、田島はヒカルイマイを大外に持ち出し、最後の直線に入った。逃げたシバクサが失速したところを、2番手に付けていた藤本勝彦騎乗のハーバーローヤルが交わして先頭に立ち、そのまま流れ込みを図る。その後方でヒカルイマイは猛追を始め先行馬を次々と交わしていくと、そのままの勢いで一気にゴールまで走り抜け、2着ハーバーローヤルに1馬身4分の1の差を付けて優勝を果たした。 直線だけで22頭を抜き去っての優勝は過去に例がなく、「ダービーポジション」をまったく無視してのレースであった。この勝利により、田島は23歳7か月という中央競馬史上最年少のダービージョッキーとなった。競走後、ダービー初騎乗初勝利の感想と、奇抜な戦法を採った理由を訊かれた田島は「東京の2,400mのレースに乗っただけ。それがたまたまダービーだった」「初めてのダービーに乗るのではなく、ヒカルイマイに乗るんだ、と自分に言い聞かせました。後は馬の力を信じて思い切って乗ってこよう、とそれだけでした」と述べた。これはのちに「僕はダービーに乗ったんじゃない、ヒカルイマイに乗ったんだ」という言葉に要約され、この競走とヒカルイマイが語られる際に、ほぼ必ず引用されるようになった。これは謙虚な発言だったが、語り継がれるにつれ、傲慢な発言と捉えられてしまっている。
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