第19路軍結成と淞滬抗戦
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1927年(民国16年)、蒋介石による上海クーデターが発生すると、蒋光鼐は陳銘枢に従って蒋介石を支持し、北伐から離脱した。その後も蒋介石を支持して、反蒋介石派の軍勢と戦い、軍功を積み重ねている。1930年(民国19年)8月、蒋介石の命令により、第19路軍が編制され、蒋光鼐が第19路軍総指揮、蔡廷鍇が第19路軍軍長に任命された。 1931年(民国20年)から、江西省などで中国共産党掃討に参戦した。しかし紅軍は想像以上に戦闘力が高く、苦戦を強いられる。この苦戦のために蒋光鼐は、蒋介石の共産党掃討の姿勢に疑念を抱き始めることになった。その後、第19路軍は、南京・上海の防衛線に動員されている。 1932年(民国21年)1月、日本軍が上海に進軍してくると、蒋光鼐と蔡廷鍇は防衛線を堅持し、日本軍を迎撃することを決断した。1月28日、両軍の交戦が開始された(第一次上海事変、淞滬抗戦)。以後、30日以上に渡り、蒋・蔡は懸命に抗戦したが、最後は兵力・火力で勝る日本軍の前に撤退した。しかし、この時の第19路軍の果敢な戦いぶりは、中国国内から大きな評価を得ている。
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