第18代外務大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)
1901年6月、小村は日清戦争以来小村を高く買っていた桂太郎に招かれ、第1次桂内閣の外務大臣に就任することとなった。彼の友人たちは、桂内閣発足時には3か月の短命政権で終わるだろうとの憶測が飛び交ったので、入閣は損だからやめた方がよいと小村に忠告している。しかし、小村は3か月もあればイギリスとの同盟もまとめられるし、これは何としてもやらなければならないとして周囲の忠告は聞かずに入閣した。 ただ、小村は北京議定書調印のため清国を離れることができなかったため、その間、曾禰荒助蔵相が外相を兼ねた。一方、1901年7月15日、イギリスに帰国中のクロード・マクドナルド駐日公使が日本の林董駐英公使に対し、恒久的な日英同盟について打診したことから日英提携の動きが活発化し、7月31日、林はイギリス外相ランズダウン侯爵と協議に入った。
※この「第18代外務大臣」の解説は、「小村壽太郎」の解説の一部です。
「第18代外務大臣」を含む「小村壽太郎」の記事については、「小村壽太郎」の概要を参照ください。
- 第18代外務大臣のページへのリンク