第四話 北ノ政所とは? わかりやすく解説

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第四話 北ノ政所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 13:44 UTC 版)

豊臣家の人々」の記事における「第四話 北ノ政所」の解説

秀吉正室北ノ政所少壮の頃から夫と苦楽を共にし、内助の功秀吉立身見事に支えた。その聡明さ秀吉からも一目置かれ人事はじめとする政治問題最良相談相手ともなり豊臣家創建大い助けた。その温和闊達な人柄多くの者達を惹きつけ豊臣家中の誰よりも慕われたものの、いささか郷里尾張出身者贔屓にする向きがあったため、自然その周囲には尾張出身者の閥ができるようになった。その一方で新しく秀吉の側室になった淀殿周囲には近江出身者の閥が形成され秀吉淀殿への寵愛深くなるに連れて近江閥の権勢目立って強くなっていった北ノ政所には尾張者に多い武辺者好み近江者に多い吏僚達を好まないという癖もあり、尾張閥と近江閥の対立は、同時に武断派吏僚派対立といった面持ちになった。そして豊臣政権安定するに連れて軍人よりも官僚的能力持った人材重用されるようになり、近江閥の権勢はいよいよ強大なものとなる。北ノ政所の下には、政権中枢から排された尾張者の憂壊が毎日のように持ち込まれるうになるが、彼女自身殿中重視豊臣政権傾斜密かな憤り抱いていた。両派は事あるごとに衝突するが、秀吉死によってその対立にはいよいよ歯止めがきかなくなり小戦の噂が立つほど事態緊迫化する。しかし、ここで大老首座である家康動いた家康は両派の仲裁買って出るが、その本意は豊臣家内紛乗じてその天下簒奪することにあった北ノ政所そのような魂胆など見抜いていたが、淀殿近江閥への反感があり、またこのまま彼らをのさばらせておけば彼女の保護してきた尾張者たちが滅びざるを得ない政情関ヶ原へと動き始めるが、北ノ政所膝下の者達に家康に従うよう言含めて影から家康支え天下実権徳川家に移ることとなる。その後大坂の陣経て豊臣家滅亡するが、家康自身天下もたらしてくれた北ノ政所終生篤く保護した。彼女は秀吉とともに豊臣家という作品作り夫の死期に自らその根を断ち切った。その行動には他人には渡さぬといった胆気匂い出、自身行為に対して悔恨のようなものがどうにも見られない

※この「第四話 北ノ政所」の解説は、「豊臣家の人々」の解説の一部です。
「第四話 北ノ政所」を含む「豊臣家の人々」の記事については、「豊臣家の人々」の概要を参照ください。

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