第八潜水戦隊旗艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:56 UTC 版)
同年3月、甲標的の第二次攻撃や、交通破壊戦を担う第八潜水戦隊が開隊し、石崎昇少将が司令官、有泉龍之助が先任参謀に就任する。第八潜水戦隊は、インド洋方面を担当する甲先遣支隊、南太平洋方面を担当する乙先遣支隊などに区分され、石崎司令官は前者を直率し、「伊10」はその旗艦に選ばれた。部隊は「伊10」のほか第一潜水隊(今和泉喜次郎司令)の「伊16」(大谷清教潜水艦長)、「伊18」(山田薫潜水艦長)、「伊20」(山田隆潜水艦長)、さらにこの作戦後遣独潜水艦作戦を命じられていた「伊30」(遠藤忍潜水艦長)、「報国丸」、「愛国丸」で構成され、「伊16」、「伊20」に甲標的各1が搭載された。3月12日、「伊10」は発見を報じられた米機動部隊の迎撃に出撃したが、発見には至っていない。4月16日に呉を出撃してペナンへ向かうが、冷却器故障に見舞われたためシンガポールへ寄港、ペナン到着は同月25日である。ここで最終準備を行い、30日に出撃した。甲先遣支隊は「伊10」、「伊30」の偵察によって甲標的の攻撃対象を決定することとなっており、栢原の「伊10」は5月20日にダーバンの飛行偵察に成功するが、有力艦艇は存在しなかった。石崎司令官は「伊30」のアデン、ジブチ、ザンジバルなどの飛行偵察情報、その他の情報からディエゴ・スアレス攻撃を決意した。「伊10」は5月30日にディエゴ・スアレスの飛行偵察に成功し、戦艦、巡洋艦の在泊を確認している。こうして甲標的による攻撃は実施に移され、「ラミリーズ」及び油槽船1隻を撃破した。「伊10」はこの翌日にもディエゴ・スアレスの飛行偵察に成功している。
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