第二次張北事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 14:37 UTC 版)
「土肥原・秦徳純協定」の記事における「第二次張北事件」の解説
先の張北事件の際にはこのような事件は再発させないとの誓約がなされていた。しかし1935年5月30日にトラックで多倫を出発した日本軍特務機関員の一行4名は6月5日午後4時に張北の南門で第百三十二師の衛兵に停車を命じられた。一行は特務機関の身分証明書を提示したが無効であると跳ね付けられ、第百三十二師の司令部に連行され、荷物と旅行用品の厳重な検査が行われてから一部屋に監禁の上、青龍刀や銃剣が突きつけられながら脅迫されて尋問を受け、食事と寝具は与えられずに翌日午前10時に釈放された。監禁は宋哲元の参謀長の命令であり、その他の尋問等の侮辱は軍法署長も知るところであった。
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