第一変期以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/05 14:50 UTC 版)
廖平の故郷である四川は、清朝に流行した考証学が入らず、長らく宋学(朱子学)を中心とした科挙のための学問が存在するのみであった。しかし1875年(光緒元年)張之洞が四川に赴任し、尊経書院を設立して考証学を導入したことにより、はじめて四川に考証学が到来した。 幼年時に宋学を好んだ廖平であったが、張之洞の影響を受けて訓詁学に興味を抱き、同学の高評価を得た。その後、王闓運の入川により、訓詁学から微言大義を求める学問に興味の関心が移り、『穀梁経伝古義疏』や『公羊十論』(『公羊三十論』の一部)などの著作を著し、素王説や王伯説の研究を深めた。 これらの訓詁学や微言大義の分析は、以後の思想変転の中にあって、常に分析の根柢となり、廖平の学問を基礎づけるものとなった。
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