竹屋町通以北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 16:08 UTC 版)
北山通-北大路通間は、新大宮商店街が形成されている。なお、かつての大宮通は紫野地域で突き当たっており、その周辺は大宮頭(おおみやがしら、ややみやかしら)と呼ばれていたこの先は、やや北西に曲がって北へ延びる小路があり、雲林院や大徳寺門前を経て洛外へ抜けていたという。この小路は、現在の大徳寺通とほぼ重なっていた。昭和初期に土地区画整理事業が紫野地域以北において実施され、その中心を貫いて延伸した道を大宮通とした。そのため、地元ではこの延伸区間の大宮通を新大宮通、大徳寺通を旧大宮通と称している。なお、この成り立ちとは異なるが、一条通-下長者町通間の、大宮通の一筋東を南北に通る道も、旧大宮通と呼ばれている。 大正時代には京都市電今出川線が整備され、今出川通との交差点付近に今出川大宮駅が設置された。また、今出川通以北では堀川通が整備される昭和30年代まで、市バス路線が運行していたという。 通りが狭くなる上立売通-中立売通周辺は、西陣織機業地を縦断している。かつては、糸屋、機屋、織屋や買継商など業種別に軒を連ねていたという。今出川大宮交差点東南角に千両ヶ辻の碑が残っており、江戸時代には西陣織機業で日に千両の商があったといわれるほどに活気にあふれていた。今は当時の面影も乏しくなり、新旧の民家に交じって老舗商店が点在している程度である。 大半は2車線の道路だが、北山通-北大路通間は南行きの一方通行、喜多川通(京都市立西陣中央小学校第二教育施設南側)-横神明通(一条通の一筋北)間・中立売通-丸太町通は北行きの一方通行になっている。
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