競技での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 14:07 UTC 版)
「トヨタ・カローラWRC」の記事における「競技での活躍」の解説
1997年のテスト参戦を経て、1998年よりWRCにフル参戦。オリオールに加えてカルロス・サインツがチームに復帰する。サインツが開幕戦ラリー・モンテカルロでカローラWRCに初勝利をもたらすと、オリオールはラリー・カタルーニャで優勝、ラリー・ニュージーランドではサインツ/オリオールがワンツーフィニッシュ。サインツはトミ・マキネンから-2ポイント差で最終戦グレートブリテンを迎えた。マキネンが早々とリタイアしたため、サインツの逆転王者がほぼ確実となったが、最終日の最終SS、ゴールからわずか数百メートルの地点でエンジントラブルが発生。歴史的な大逆転でドライバーズチャンピオンは手から滑り落ちたうえ、オリオールもリタイアしていたためマニュファクチャラー部門も三菱に逆転され年間2位に終わった。 1999年はオリオールが終盤までチャンピオン争いに加わったものの、優勝はチャイナ・ラリーの1回に留まった。それでも車両の信頼性が向上し、安定したパフォーマンスを発揮してマニュファクチャラーズ部門を制覇した。同部門のタイトルは1993年、1994年以来3回目。この年を以てトヨタはWRC活動から撤退し、F1参戦への準備に向かった。 ワークス撤退後も翌2000年まで小規模な開発は続けられ、TTEのセカンドチームであるイタリアのプライベーター、グリフォーネから参戦したブルーノ・ティリーがモンテカルロでワークス勢を相手に5位に入ったほか、ハリ・ロバンペッラが、フィンランドでコリン・マクレーと接戦を繰り広げた末、3位に入るなどの活躍を見せている。2000年代後半に入ってもプライベーターに使用され、セバスチャン・ローブやヤリ=マティ・ラトバラといった後のWRCのスターたちの初期キャリアでもカローラWRCでの参戦が見られる。 WRC以外ではERC(ヨーロッパラリー選手権)2000年にヘンリック・ルンドガード、2001年にアーミン・クレマーがチャンピオンを獲得している。またMotoGP王者のバレンティーノ・ロッシもモンツァ・ラリーにおいてカローラWRCを採用していた。
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