突厥(とっけつ)・鉄勒(てつろく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 20:39 UTC 版)
「チュルク系民族」の記事における「突厥(とっけつ)・鉄勒(てつろく)」の解説
詳細は「突厥」を参照 中央ユーラシア東部の覇者であった柔然可汗国はその鍛鉄奴隷であった「突厥」によって滅ぼされる(555年)。突厥は柔然の旧領をも凌ぐ領土を支配し、中央ユーラシアをほぼ支配下においた。 そのため東ローマ帝国の史料にも「テュルク」として記され、その存在が東西の歴史に記されることとなる。 また、突厥は自らの言語(テュルク語)を自らの文字(突厥文字)で記しているので、古代テュルク語がいかなるものであったかを知ることができる。 突厥は582年に東西に分裂し、8世紀には両突厥が滅亡した。 詳細は「鉄勒」を参照 一方で突厥と同時代に突厥以外のテュルク系民族は「鉄勒」と記され、中央ユーラシア各地に分布しており、中国史書からは「最多の民族」と記された。鉄勒は突厥可汗国の重要な構成民族であったが、突厥が衰退すれば独立し、突厥が盛り返せば服属するということを繰り返していた。 やがて鉄勒は九姓(トクズ・オグズ)と呼ばれ、その中から回紇(ウイグル)が台頭し、葛邏禄(カルルク)、抜悉蜜(バシュミル)といったテュルク系民族とともに東突厥第二可汗国を滅ぼした。
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