空手(唐手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:56 UTC 版)
1922年(大正11年)5月、文部省主催第一回体育展覧会が開催され、大日本体育協会名誉会長・東京高等師範学校前学校長として本大会主催者であった嘉納は、沖縄の唐手家船越義珍の唐手の紹介・演武の参加要望頼み込みを受け、それを実現している。同年6月、嘉納は船越を講道館に招待し、唐手演武を依頼している。空手の本土における上陸、全国的な普及活動の糸口となったのがこの時の講道館での演武会であり、それが近代空手道の出発点となる。嘉納の柔道を介しての武道の思想・システムは本土上陸を果たした唐手改め空手の普及・変化に大きな影響を与えることになる。
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