空手する者の心得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 20:57 UTC 版)
武の字義は二人干戈を交えているもののなかに入って争いを止める、という意義である。この字義の持つ本質をよく考え実戦躬行にうつすべきである。 空手に先手なし。 空手するものはどこまでも隠忍自重みだりに動ぜず、つねに小敵といえども侮らず好戦的、積極的に先手を発動してはならぬという心的態度を示した教えである。空手の形に先手がないのは平和的、倫理的意味のひろさであり、古今に通じる不磨の大訓である。 人一度すれば己これを百度し、人百度すれば己これを千度す。 要するに努力鍛錬、思念工夫が空手上達の秘訣である。 理より入る者は技より入る者より一日の長あり。 先ず理を知り、その技法を会得し、そして後、手足の鍛錬をなすべきである、との訓え。 空手は謹慎、謙譲、仁義のおよばざるところに、最後唯一の攻防、護身の正技が出るのである。 孫子の曰く「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝」。 すなわち先ず自らの不敗の地歩を占め、しかる後に敵の敗形に乗ずるの意である。 大胆に細心に。 度胆は大海の如く、要人は音無き細流のごとくあって、大敵を恐れず、小敵を侮らざる気構えが必要である。 身を護れ。 相手を攻めよう攻めようとおもったら、自ら隙がでて、敵に乗じられるのである。身を守っていれば、相手の隙が自然に見えてくるのである。 拳の大要八句 「人心同天地 血脈似日月 法剛柔呑吐 身随時應變 手逢空則入 碼進退離逢 目要観四向 耳能聴八句」
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