秋の鞍と中央挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:25 UTC 版)
「オンスロート (競走馬)」の記事における「秋の鞍と中央挑戦」の解説
9月末の川崎開催のオープン戦で、オンスロートは重賞3勝のユウセイやセンジユを相手にようやく久々の勝ち星を挙げた。10月にはオープン戦でさらに1勝し、オンスロートは全日本三歳優駿以来の本格的な調教を積めるほどの好調で秋の鞍へと出走する。この年の秋の鞍は1着賞金が中央競馬の有馬記念・天皇賞と同額の300万円という高額を誇り、出走メンバーもすでに対戦済みのエータイムやユウセイ、同世代のダイサンコトブキ、サンセイカツプ、オパールオーのみならず、前年の京都記念(春)・日経新春杯勝ち馬フサリユウや1958年の阪神三歳ステークスを制したインターナシヨナルなどが揃う充実の陣容となっている。そんな中でオンスロートはスタート直後から先頭に立つと、そのまま快調に飛ばして見事な逃げ切り勝ちを決めたのだった。この勝利により、オンスロートはこの年から設けられた第1回公営日本一に輝く栄誉に浴している。 5歳となった1961年は4月から始動。大井競馬場で開催された東京オリンピック協賛開催にも出走しているが、ここはオータジマの2着と波乱の結果となっている。そして5月に大井開催でオープン特別を快勝したのを最後に、オンスロートは天皇賞・秋を目指して東京の中村広厩舎へと移籍する。地方競馬時代の通算戦績は27戦17勝であり、またそのほぼ全てのレースで赤間清松騎手が騎乗した。同騎手はオンスロートの中央入りに際して中央の調教師から感想を求められた際、「ダイゴホマレより上」と応えたという。
※この「秋の鞍と中央挑戦」の解説は、「オンスロート (競走馬)」の解説の一部です。
「秋の鞍と中央挑戦」を含む「オンスロート (競走馬)」の記事については、「オンスロート (競走馬)」の概要を参照ください。
- 秋の鞍と中央挑戦のページへのリンク