神経衰弱後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 13:47 UTC 版)
しかし、岡本はその後、神経衰弱と糖尿病のため、芝区三田一丁目の松山病院に入院。病院に入院してからは、生涯に渡り門外不出となる重い精神疾患を患った。自分の部屋から一歩も出ずに、昼間から雨戸を閉め切って、ルミナール6錠(カルモチン30錠に相当する。)を飲んで寝てしまうという生活が15年以上続いた。 やがて主治医で歌人の大埜間霽江の尽力もあり、ましろの同人句会や「藤よし」にも出席するようになった。手製絵葉書を乱発し始めここから、俳句を俳画の融合させる新芸術の創造に繋がっていく。57歳にして、神経衰弱を克服し、多摩川や浦安、三宝寺池、豊島園に毎日出かけ、池の鯉にありったけの餌をばらまく日々を過ごした。昭和10年(1935年)を過ぎると、『ましろ』の句会はしばしば防空演習、灯火管制のために中断された。 大東亜戦争中に生涯を閉じた。墓所は小田原市光円寺。
※この「神経衰弱後」の解説は、「岡本癖三酔」の解説の一部です。
「神経衰弱後」を含む「岡本癖三酔」の記事については、「岡本癖三酔」の概要を参照ください。
- 神経衰弱後のページへのリンク