神戸高速鉄道・山陽電気鉄道との直通運転
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「阪神本線」の記事における「神戸高速鉄道・山陽電気鉄道との直通運転」の解説
阪神では湊川駅への延伸免許を、戦後もしばらく保有し続けていた。昭和30年代に入り神戸市が市電の代替も兼ねて、神戸市に乗り入れる各私鉄を地下線で接続する計画をたて、1958年に神戸高速鉄道を発足させてそれを具体化させると、阪神では件の延伸免許を失効させる代わりに、同社線への直通を行うことが決められた。 1968年に東西線(現:阪神神戸高速線)が開通し、阪神は予定どおり同線への直通と、それを介しての山陽電気鉄道本線との直通運転を開始した。 1998年2月の直通特急運転開始までは、以下のような運用であった。 阪神側からの列車は、終日、特急が直通していた。朝夕の時間帯には急行も、早朝深夜の時間帯には普通(新開地まで)も直通していた。行先は高速神戸駅、新開地駅、東須磨駅、須磨浦公園駅であった。直通先では各駅に停車していたが、種別表示は阪神線内の種別表示のままで、これは現在でも同じである。 阪神側からは、昼間の場合、1時間あたり特急5本すべてが高速神戸駅または新開地駅まで直通し、うち3本(1968年の直通運転開始時点では2本)が須磨浦公園駅まで直通した。 山陽電鉄線からは、昼間の場合、1時間に2本が大石駅まで直通した(阪急側も同様に1時間あたり2本が六甲駅まで直通した)。山陽電鉄側からも原則として特急が乗り入れたが、普通が乗り入れることもあった。昼間以外の時間帯では三宮駅始発・終着の列車も存在した。1991年4月改正まで阪神線内では各駅に停車していたが、1991年4月改正より、山陽電鉄線からの直通列車は全て西灘駅を通過するようになった。種別表示は山陽電鉄線内の種別表示のままであった。 阪神本線では6両が最長編成であったため、阪急のような7両編成(後に8両編成)が山陽電鉄線に直通できないというような編成長の制約はなかった。 1998年2月改正で直通特急が設定され、全面的な相互直通運転が実施されるようになり、2001年に山陽からの大石駅折り返し列車は廃止された。
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