神号などの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:25 UTC 版)
(1)下葉の氏子(したばのうじこ)-安政5年(1858年)正月朔日 (2)一乃弟子(いちのでし)-安政5年(1858年)9月23日 (3)文治大明神(ぶんじだいみょうじん)-安政5年(1858年)12月24日 (4)金子大明神(こんしだいみょうじん)-安政6年(1859年)6月10日 (5)金光大明神(こんこうだいみょうじん)-文久2年(1862年)11月23日 (6)金光大権現(こんこうだいごんげん)-元治元年(1864年)10月24日 (7)生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)-明治元年(1868年)9月24日 解説 神号(神名)は、信仰の進み具合で名付けられた様である。ただ(6)から(7)の変遷については、慶應4年3月28日の「神仏分離令」(太政官第196号)により、神仏混交型の金光大権現(権現は仏式)が使用禁止となった影響もあるといわれている。 神号は、文久年間より、篤信の信者にも与えられるようになった。「一乃弟子」→「金子宮」→「金子明神」→「金子大明神」→「金光大神」と信仰の段階が進んだ。 信者への神号授与は、明治3年に浅尾藩社寺司局から、「出社神号差し止め命令」が出たことにより終了した。教祖はその後、例えば白神新一郎(しらが しんいちろう)には、読み方を「しらかみ」と変えさせたり、近藤与三郎(こんどう よさぶろう)に藤守(ふじもり←金光藤守を与えたが、金光姓は恐れ多いので本人は承けなかったらしい)という名を与えたりして、神号代わりにした様である。
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