神号の追贈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 01:33 UTC 版)
北宋の紹聖3年(1096年)に哲宗の命で荊州の玉泉祠が「顕烈廟」という名にされた。その後、歴代の中国王朝で封号(称号)として爵諡を追贈されていたが、武廟(文廟(孔子廟)の対語、本来は唐の時代に太公望を祭る武成王廟のこと)として明の万暦42年(1614年)万暦帝から「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」、天啓年間に天啓帝による「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」という神号を追贈され、清では北京地安門(北門)外に廟を作り、順治9年(1652年)に順治帝から「忠義神武関聖大帝」、乾隆年間に乾隆帝から「忠義神武霊佑関聖大帝」、嘉慶年間に嘉慶帝から「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」、道光年間に道光帝から「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という神号が贈られた。
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