社員ラリードライバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:24 UTC 版)
小学生の頃は乗馬、中学生は自転車、高校生はオートバイと「乗り物」に親しみながら育つ。1967年、大学入学後に運転免許を取得し、友人の誘いでナビゲーターとしてラリーに参加し魅力を知る。その後はドライバーとして頭角を現し、大学3年の時には三菱自動車工業のワークスチーム「コルト・モータースポーツクラブ (CMSC)」にスカウトされた。 大学卒業後、1971年に三菱自動車に入社。販売店のセールスマンや整備工場のメカニックを経験しながら、週末はワークスドライバーとして日本各地のラリー競技会に出場し、1971年、1972年にはコルトギャラン1600Lに乗り全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得した。1974年から海外のサザンクロス・ラリーに挑戦し、1976年のWRCサファリラリーでは日本人初の6位となり、「ライトニング・ケンジロー」の異名をとる。しかし、オイルショックや排気ガス対策のため三菱が1978年にワークス活動を休止したため、篠塚はラリーから離れ、販売推進部で宣伝を担当するサラリーマンとして働いていた。
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