礎石建物と石組庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 00:41 UTC 版)
主郭から一段下に下った平場で、1997年(平成9年)龍王山城では初めて発掘調査が行われ、礎石建物と石段が確認された。礎石建物は南北方向に棟があり、礎石列はほぼ完存し、14ヵ所で検出された礎石は1m間隔である。南北方向の全長は13mで、東西方向は7m、横方向の礎石は1.2m間隔である。建物の床は板張りで、間取りは小部屋で仕切るような礎石配置はなく、大広間的な空間であった。日常生活や台所のような設備も見当たらないことから、武士が詰める為の施設であったと思われる。この建物の南側に、東西方向に自然石を組み合わせた石組遺構が検出された。自然石を立てて使用する事等、人工的な遺構であると確認でき、枯山水風の庭園遺構であると推定される。戦国時代の庭園跡としては、池田城や八王子城等いくつか確認出来るが、『時代を掘る』によると「龍王山城のように山城での庭園遺構の検出例はまだないようである」と山城では初めての庭園検出例であるとの見解が示されている。 また平場曲輪への虎口に石段が設置されていた。北城には石段は確認されていないことから、この礎石建物以前の可能性も推測される。発掘調査では礎石建物の下には更に古い遺構は確認できなかった。
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