磯部温泉発祥説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 20:43 UTC 版)
一説には磯部温泉(群馬県安中市)が「温泉マーク」発祥の地であるとされている。1661年(万治4年)3月25日、農民の土地争いに決着を付けるため、評決文『上野国碓氷郡上磯郡村と中野谷村就野論裁断之覚』が江戸幕府から出された。この文書に添えられた絵図に、現在の温泉マークに近い、円から三本の湯気のようなものが立ち昇る記号が二つ、現在の磯部温泉にあたる「西上磯部塩の窪」に描かれていた(現在は群馬県立歴史博物館に所蔵)。この文書は1970年頃、公民館の土蔵から見つかったと1981年12月5日に地元紙『上毛新聞』が報じており、同年、赤城神社と隣接する磯部詩碑公園に「日本最古の温泉記号」と記された碑が建てられた。。バブル崩壊後の団体客減少に悩んでいた磯部観光旅館協同組合が改めてこれを注目してグッズ化するなどして、2016年には2月22日を「温泉マークの日」(2が湯気に似ているため)に定めた。2016年に持ち上がった温泉記号の見直し問題(前述)で磯部温泉は異議を唱え、全国的に発祥地として注目された。
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