砂村新左衛門とは? わかりやすく解説

砂村新左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 02:01 UTC 版)

(1601年)頃 - 寛文7年12月15日1668年1月28日))は江戸時代前期の農民、土木技術者。数多くの新田開発を主導したことで知られは越前国(現・福井県)の砂畑を開拓して新村(現・鯖江市新町)とした福岡新兵衛家の(新村近くの落合の)分家の出と伝わる。若い頃から壮年まで越前国三国湊(現・坂井市)で土木事業に携わる傍ら、新田開拓の技術を習得し、全国各地に赴いた。大坂(摂津国)の上福島(現・大阪市福島区)での新田開拓を経て、関東に進出した。


注釈

  1. ^ 元は下総国であるが、江戸時代初期の1683年(貞享3年)、もしくは寛永年間(1622年–1643年)に太日川(現・江戸川)より西の地域を武蔵国に編入したとされる。なお1678年(延宝5年12月14日)の砂村新田内割絵図裏書における地名は「武州西葛西領宝六島砂村新田場」と書かれている。
  2. ^ 『新編武蔵風土記稿』には「砂村新田」の小名として、元〆・松浦・金森・弾正・五十間・伯者・上り屋敷・本多、が記述されている[1]

出典

  1. ^ a b 「砂村新田」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ25葛飾郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/15 
  2. ^ a b 新編相模国風土記稿 1932, p. 290.


「砂村新左衛門」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「砂村新左衛門」の関連用語

砂村新左衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



砂村新左衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの砂村新左衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS