石鼓の成立時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:11 UTC 版)
出土当時より、石鼓がいつ刻まれたのか議論は尽きなかった。現在のところ戦国時代の秦で作られたとする説が有力である。 唐初期に出土した際は、狩猟を描写した詩歌が周の宣王を称える詩経の「車攻」や「吉日」の詩と酷似していることから、周の宣王時代の作と考えられた。この説は長く支持され、清の乾隆帝もこれを認めたため、反論は辛亥革命後に噴出した。 記録によると、宣王は出土地の近辺で狩をした形跡がない。 石鼓に歌われた「朱塗りの弓」や「3頭曳きの馬車」は諸侯が使うもので、宣王にはふさわしくない。 そもそも宣王の時代には、花崗岩を刻める鉄の鏨は存在しない。 これらの反論を受けて、宣王時代説はほぼ否定されている。始皇帝の文字統一によって絶滅した古い書体であることから、始皇帝以後の偽作であるとも考えられない。 現在の論点は、統一前の秦のどの時代に作られたか、に絞られており、襄公・文公・穆公のいずれかが有力視されており、献公の紀元前374年頃の巡狩の際の詩文とも考えられている。
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