石田徹也とは? わかりやすく解説

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石田徹也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 03:23 UTC 版)

いしだ てつや
石田 徹也
生誕 (1973-06-16) 1973年6月16日
日本静岡県焼津市
死没 (2005-05-23) 2005年5月23日(31歳没)
日本東京都町田市
国籍 日本
教育 武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科 卒業
著名な実績 絵画
代表作 「無題」
「SLになった人」
「飛べなくなった人」
「健康器具」
「回収」
受賞 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ
1995年 「みのむしの睡眠」
公式サイト www.tetsuyaishida.jp
活動期間 1996年 - 2005年

石田 徹也(いしだ てつや、1973年6月16日 - 2005年5月23日)は、日本画家

人物・来歴

静岡県焼津市出身。父親は元焼津市議会議員。4人兄弟の末子。3人の兄は、長男が一級建築士、次男が銀行員、三男が服飾デザイナーである。

焼津市立小川小学校、焼津市立小川中学校静岡県立焼津中央高等学校を経て、1996年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業[1]。元々高校は美術系を希望していたが、親からの強い要望で普通高校に入る。本人は苦痛を感じていたという。大学時代の友人に映画監督の平林勇がおり、共同で作品を製作していた。就職活動中に1社だけデザイン会社に行ったが、採用されず、画家として活動する。

蒸気機関車やビニール袋、便器などといった日常生活で使用するものと一体化した青年を題材とすることが多い。題材としている青年はほとんどが同じような顔をしており、作家本人と似ているが本人は否定している[2]。後期作品ではメッセージ性を抑制し、より抽象的な作風になっていくが、これにはテーマは押し付けるものではなく、観た人がそれぞれ好きに感じてくれればいいという意図がある[3]

2005年5月、踏切事故で死去。31歳没。

2006年9月のNHK新日曜美術館』で取り上げられる。

2006年11月にクリスティーズ香港で開催したオークション『アジアの現代美術』に Lot. 496 として出品された「無題」(2001年)は、78万香港ドル(約1200万円)で落札された。2012年5月に開催されたユナイテッドアジアンオークションに出品された「囚人」(Prisoner 1999)は予定落札価格の3倍以上の819,800USD(約9,230万円)にて落札された。

2009年紺綬褒章を授与され、遺族が受け取る。

2019年スペインマドリード国立美術館で開催された個展が31万人を超える入場者を集める[4]

主な作品

  • 「みのむしの睡眠」(1995年、第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ受賞作)
  • 「SLになった人」(1995年、第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ受賞作)
  • 「飛べなくなった人」(1996年
  • 「健康器具」(1997年、JACA'97 日本ビジュアル・アート展、グランプリ受賞作)
  • 「回収」(1998年、キリンコンテンポラリーアートアワード1998、奨励賞受賞作)
  • 「捜索」(2001年VOCA展2001、奨励賞受賞作)
  • 「前線」(2001年、VOCA展2001、奨励賞受賞作)

「飛べなくなった人」を含め、21点の作品を郷里の静岡県立美術館に遺族が寄贈した。

主な展覧会

  • 悲しみのキャンバス展、静岡県立美術館、2007年7月24日 - 8月19日
  • -僕たちの自画像展、練馬区立美術館、2008年11月9日 - 12月22日
  • ヨコハマトリエンナーレ2011、横浜美術館、2011年8月6日 - 11月6日
  • -今を生きる、僕らの姿、三菱アルティアム、2012年4月28日 - 5月27日
  • ノート、夢のしるし、足利市美術館・平塚市美術館・砺波市美術館・静岡県立美術館、2013年9月7日 - 2014年3月25日
  • 第56回ベネチアビエンナーレ、セントラルパビリオン/イタリア、2015年5月9日 - 11月22日
  • A Brief History of the Future 国立台湾美術館/台湾、2018年3月24日 - 6月3日
  • 夢を描いた青年、藤枝市文学館、2018年8月4日 - 9月24日
  • Autorretrato de otro ソフィア王妃芸術センター/Palacio de Velazqes/スペイン、2019年4月11日 - 9月6日
  • Self-portrait of Other Wrightwood659 Gallery/シカゴ・イリノイ州/アメリカ、2019年10月3日 - 12月14日

逸話

  • ひとつぼ展のグランプリ受賞者個展をみた亀倉雄策が「何を食べたらこんな絵が描けるんだ?」と感想をもらした[5]
  • 基本的に無口であり、学生時代はプレゼンも上手くはなかったので、作品の力だけで押し切るしかなかったという[6]
  • 生前、作品は売れても大した収入にはならなかったので、常にバイトをしながら活動していた[6]
  • 親からの仕送りは拒否し続け、そういう環境じゃないと、ああいった作風は描けなかったのではないかと父が話している[6]
  • 両親にはその作風がまったく理解できなかったが、評価されているのは嬉しいと話している。同時に、このような暗い作風が受けることは素直に喜べないとも語っている[6]
  • 自分の絵に対する様々な感想について、色々な感想があるからいいんだと母に語っている[6]

書籍

装幀

テレビ番組

関連項目

脚注

注釈・出典

  1. ^ 石田徹也について 公式サイト
  2. ^ 『石田徹也遺作集』 4頁。
  3. ^ 『石田徹也展 ノート 夢のしるし』解説文より(静岡県立美術館)
  4. ^ 早世した静岡の画家 スペインでの個展に驚きの31万人
  5. ^ 『石田徹也遺作集』 98頁
  6. ^ a b c d e 『SBSスペシャル・180枚の自画像~夭折の画家 石田徹也~』(2007年3月30日)

外部リンク





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