知的障害児対象の教育機関・福祉施設への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 08:41 UTC 版)
「滝乃川学園」の記事における「知的障害児対象の教育機関・福祉施設への転換」の解説
帰国後、聖三一孤女学院を知的障害児に対する研究、教育、生活支援を目的とする施設に転換し、名称も「滝乃川学園」と改めた。当初は、健常児童・生徒が在籍中であったため、普通教育部と特殊教育部の2コース制が採られた他、普通教育部の生徒を対象とした保母養成所が開設された。この「学園」という名称は、石井が考案したと言われ、当学園が日本で初めて称したとされる。こうして滝乃川学園は、日本で初の知的障害児教育・福祉施設となった。石井は、知的障害の研究を重ね、当時、奇形児とされ、養育が放棄されていた知的障害児の救済に取り組みはじめ、日本で初めて、知的障害を持つ人々の多くのそれは、不治の障害ではなく、発達の遅滞であることを指摘して、彼らへの教育の必要性を訴えたのである。園児・園生一人ひとりの生育環境や障害の特性を分析し、それぞれの発達段階に応じた教育を試みた点が画期的であり、これは、石井が単に信仰に由来する慈悲心だけではなく、極めて近代的かつ科学的視点をもって知的障害児の教育問題に向き合っていたことを示している。
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