知事への不信任決議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 18:57 UTC 版)
2002年7月5日、長野県議会は田中康夫長野県知事(当時)に対し『就任以来、「長野モデル」の発信と称して、県民の生命や財産を守ることよりも自己の理念の実現を優先させ、市町村長や県議会との合意形成を軽んじる一方、理念を同じくする一部の意見のみを重んじ、独善的で稚拙ともいえる政治手法により県政の停滞と混乱を招き、多くの県民の期待を裏切る結果となった』 として、県政史上はじめて知事への不信任決議案を可決した(賛成44、反対5、欠席11)。これに対して田中知事は議会解散を行わず、10日後の7月16日午前零時をもって失職した。議会の不信任決議に伴って都道府県知事が失職するのは、全国初であった。 知事失職に伴う長野県知事選挙は同年9月1日に行われ、田中康夫氏が再選された。
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