矢代稜(やしろ りょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:43 UTC 版)
「そばもん ニッポン蕎麦行脚」の記事における「矢代稜(やしろ りょう)」の解説
名人と呼ばれた京橋の老舗『草庵』の五代目(藤七郎。稜は「祖父(ジイ)さん」と呼んでいた)から江戸そばの技術のすべてを伝授された。店を持たず、そば打ちの道具を車に積んで、日本のいたる地域でそば会を開き、そばのすばらしさを広める活動をしている。オンボロの車を使っていたが次第に使い物にならなくなり、ローンを組んでワーゲンバス(フォルクスワーゲン・タイプII)に乗り替えた。そば会のない間等は酒を少々嗜み、庶民的なコロッケや天ぷらなどを肴にしている。そば打ちの腕は抜群で、そばの知識に長けているが、飲みすぎて酒癖が悪い欠点を持ち、姪のエリカ(後述)のブログに画像を晒されたこともある。好物はカツ丼。愛や恋、血を見るのと注射を打たれるのが苦手。初期では去り行く際の決め台詞に「あばよ!」と大声で言っていた。最終回ではそば打ちも兼ねて豪華客船での三カ月間の世界一周へ旅立った。
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