真宗進徳教社の設立
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真宗進徳教社の設立については本願寺も指導にあたり、明治14年9月に安芸地域の有志信徒に資金募集の取締役を委嘱し、また翌明治15年(1882年)4月にはその取締係の総代を仏護寺に集めて、募集の方法について協議させている。一方で、明治14年7月には高田郡高原村の法円寺住職である霊山諦念が願主となり本願寺の添書を受け、同年9月28日付をもって広島県令千田貞暁に申請する。明治15年4月1日、内務卿山田顕義へ教会結社願を進達し、同年5月16日に進徳教社が認可された。こうして明治15年6月20日、進徳教社は広島県庁に届出し結社の準備を完了したのである。浄財募集の成績はめざましく、明治15年末には21万6200円余りを集めている。 募金額を達成するための安芸門徒の努力により、「専ら二諦の宗義を自得し、実地教法の隆替を量り、興学・布教の基本を確立し、併て国家の稗補たらしめ以って四息の一端を念報せんことを要す」という大旨のもとに真宗進徳教社は創立された。明治16年(1883年)には、先述の通り本願寺第21世明如から「崇徳」の称号を授けられたことから、真宗崇徳教社となる。崇徳教社の開社式は創立5年を経た明治20年(1887年)3月25日から3日間、広島市寺町の仏護寺において挙行された。
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