相良藩主時代とは? わかりやすく解説

相良藩主時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:56 UTC 版)

田沼意次」の記事における「相良藩主時代」の解説

元文2年1737年)、従五位下主殿頭になり、延享2年1745年)には家重将軍就任伴って本丸仕える。寛延元年1748年)に1400石を加増され、宝暦5年1755年)にはさらに3000石を加増され、その後家重によって宝暦8年1758年)に起きた美濃国郡上藩百姓一揆郡上一揆に関する裁判にあたらせるために、御側御用取次から1万石の大名取り立てられた。 宝暦11年1761年)、家重死去した後も、世子第10代将軍徳川家治信任厚く破竹の勢い昇進し明和4年1767年)にはさらに御側御用取次から板倉勝清後任として側用人へと出世し5000石の加増受けた。さらに従四位下に進み2万石の相良城となって明和6年1769年)には侍従にあがり老中格になる。安永元年1772年)、相良藩5万7000石の大名取り立てられ老中兼任し前後10回の加増でわずか600石の旗本から5万7000石の大名にまで昇進し側用人から老中になった初めての人物となった順次加増されたため、この5万7000石の内訳遠江国相良だけでなく駿河国下総国相模国三河国和泉国河内国の7か国14郡にわたり、東海道から畿内にまたがる分散知行となった

※この「相良藩主時代」の解説は、「田沼意次」の解説の一部です。
「相良藩主時代」を含む「田沼意次」の記事については、「田沼意次」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「相良藩主時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「相良藩主時代」の関連用語

相良藩主時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



相良藩主時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの田沼意次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS