皇帝=ドイツ王の権力所在地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:51 UTC 版)
「神聖ローマ帝国」の記事における「皇帝=ドイツ王の権力所在地」の解説
帝国は特定の首都を持たず、中世初期から中世盛期の皇帝=ドイツ王は王国を巡り、その時々の皇帝の所在地で宮廷会議や教会会議そして法廷の開催や授封といった行政を執り行う、「旅する王権」(Reisekönigtum)の統治方式を取っていた。 しかしながら、帝国統治の中心は全土に隈なく所在する訳でもなく、ザクセン朝、ザリエル朝の諸王はハルツ山地周辺のプファルツに王宮を造営して国王支配領域を形成しており、ゴスラーの歴史都市はそのひとつである。また、オットー3世以降は帝国内の司教管区も一時的な政庁として活用するようになっている。ホーエンシュタウフェン朝は権力基盤のシュヴァーベンに加えて、ザーレ・ウンストルート川流域やライン・マイン川流域、ライン川上流域に国王支配領域を形成した。 大空位時代以降は諸侯の自立性の高まりにより、国王支配領域を形成することはできなくなり、皇帝たちは各々の家門の領地から帝国の統治を行っている。フェルディナント2世(在位:1619年-1637年)以降はハプスブルク家所領のウィーンが恒常的な宮廷所在地となった。
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