皇帝の興亡
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共和暦12年憲法(1804年)は第一帝政の成立を宣言し、今や皇帝となったナポレオンに対する元老院の従属を一層強化するものであった。ナポレオンが次々と報賞を与えたのに応じて、元老院議員らも忠誠を示した。1806年1月1日、皇帝は元老院議員らを帝国の賢人(sages de l’Empire)と呼んで表敬し、敵旗54旒を授与した。元老院議員兼帝国元帥(sénateur maréchal d’Empire)のペリニョンは皇帝の栄光を称える凱旋門の建造を熱弁し、同僚の元老院議員のラセペードらはこれを熱援した。 ナポレオンはフランス帝国の皇族、顕官 (fr:Grands dignitaires de l'Empire français) 、その他特に勅選した者を数限りなく元老院に列することができるようになった。兄ジョゼフのほか、カンバセレス、シャプタル(英語版)、フーシェ、フォンターヌ(英語版)、トロンシェ(英語版)、将軍ではコランクール(英語版)やデュロック(英語版)に議席が与えられた。ナポレオンの意は満たされたが、元老院議員らは1814年4月2日に皇帝退位法を採択してナポレオンの退位を宣言し、ルイ18世を国王に擁立することとなった。
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